1ラウンド=18ホール…これ、現代ゴルファーなら誰もが知っていること。
でも、ゴルフ発祥の頃は必ずしも1ラウンド=18ホールではありませんでした。
その証拠に、ゴルフの聖地セントアンドリュース・オールドコースには当初22ホールが存在し、1ラウンド=22ホールが基準とされていたのです。
当時は合計打数を競うストロークプレーではなく、マッチプレーが主流だったこともあって、他のコースでも特にホール数が厳格に定められてはいませんでした。
では、なぜ1ラウンド=18ホールになったかというと、18世紀半ば頃、セントアンドリュースは市から土地の一部を返還するように求められ、そこで4ホール分の土地を返還。
全18ホールとしたところ、ラウンド時間的にも18ホールのほうが丁度いいのでは? ということになったとか。
それ以後、セントアンドリュースをお手本に18ホールのコースが増えていったことが現在の基本になっているのです。
イギリス最古のゴルフコースは皆さんご存知、セントアンドリュース。
イギリス最古ではなく世界最古のゴルフコースと言われていますね。
最古のゴルフクラブはロンドン郊外にある「ロイヤルブラックヒース・ゴルフクラブ」です。
1604年に当時大ブリテン帝国(今のイングランド、スコットランド、ウェールズ)を支配していたジェームズ1世がテムズ川沿いに7ホールのコースを作らせたのが始まりで、400年経つ今も超一流コースとしてその威厳を保っています。
アメリカでは1888年にニューヨーク郊外にジョン・レイドという人物が自分の牧場に3ホールのコース、その名も「セントアンドリューズ・ゴルフクラブ」を作ったのがアメリカ最古と言われています。
のちにジョン・レイドは「アメリカ・ゴルフの父」と言われています。
ちなみにジョン・レイドはスコットランドからの移民でした。
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女子ゴルフの歴史
今でこそ、人気の女子ゴルフではありますが、実は戦前から活躍していた日本の女子ゴルファーの草分け的存在がお二人。
関東では”三井栄子”さん。
関西では”西村まき”さん。
関東の三井さんは、夫の三井弁蔵氏とともに、アメリカでゴルフを学び帰国。
1926年〜1937年までの12年間、女子ゴルフの先駆者として活躍されました。
三井さんは、日本を代表する女子ゴルファーの至宝・象徴ともいわれ、戦前・戦後を通して、日本女子ゴルフ界をひっぱってきた存在。
日本女子ゴルフ協会(JGA)の初代女子委員会委員長を勤めたそうです。
そして戦後、日本の女子ゴルフ競技が復活したのが、神奈川・相模CCで開催された日本の婦人と在日米軍夫人たちによる”親善マッチ”に起因したといわれています。
その後、戦後になり日本国内でのゴルフ愛好者の増加に伴い、女子ゴルフも徐々に競技人口が増えていったそうです。
1953年読売新聞社が「全日本女子ゴルフ大会」(相模CC)を開催し全国規模の女性ゴルファーのための大会が開催されるようになっていきます。
1956年には、小金井CCで「関東女子ゴルフ選手権」が開催。
優勝者は、映画女優でありミス鎌倉でもあった、荒川さつきさん。
ここから、女子プロゴルファーの誕生へと時代が変わっていったようです。
ゴルフの歴史(欧米から日本へ)
15世紀にはスコットランドでゴルフが盛んだったことは事実のようです。
というのは、1457年に政府が国民にゴルフ禁止令を出したほどだったからです。
当時は戦争となれば、弓矢での戦いでしたが、その訓練がおろそかになるほど、人々はゴルフに夢中になっていたということでしょう。
その後も二回ほど禁止令が出されましたが、世の中が平和になった16世紀はじめには、ついに国王自らゴルフをするようになりました。
ゴルフはこうしてスコットランドの東部から広まり、やがてイングランドでも盛んになります。
そして18世紀前半には、ゴルフ愛好者のグループが最初のゴルフ倶楽部を結成しました。
同時にこの頃すでにクラブとボールがアメリカに輸出されていました。
アメリカでも当時ゴルフをする人がいたわけですが、初めてゴルフ倶楽部が結成されたのは1888年でした。
そして、その翌年には米国ゴルフ協会が創立されました。
初期は金持ちのスポーツでしたが、パブリックコースや自治体が造ったゴルフコースが増えるに連れて誰でもできるゲームとなり、今やアメリカを代表するスポーツにまでなっています。
我が国では1903年イギリス人のアーサー・H・グルーム氏が、神戸の六甲山に神戸ゴルフ倶楽部を造ったのが、最初の倶楽部でありゴルフコースでした。
以後、特定の階層の人々に親しまれていましたが、あまり発展しませんでした。
我が国のゴルフが爆発的なブームになったのは第二次世界大戦でした。
そのきっかけとなったのは1957年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で行われたカナダカップ(現ワールドカップ)でした。
我が国代表の中村寅吉・小野光一両プロが米・英・豪・南アなどの強豪を抑え、団体・個人戦ともに優勝を果たしたのです。
これは戦後、古橋・橋爪両選手が水泳で遂げた偉業に匹敵するものでした。
こうして我が国ではようやくゴルフの大衆化が始まりました。
しかもその発展はまことに急速で、その規模は米英に並ぶ勢いです。